travel note 一覧 >> 大久野島>> 01/ 02 / 03


大久野島
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 ぽっかりと、その島はあった。一度地図からも抹消されたその島は、静かに、海に浮かんでいた。
 二つの顔のある島。不思議で、悲しいその島の名を大久野島という。
 
 中国、四国地方にはたくさんの島が点在していて、瀬戸内海だけでも相当数の島がある。その中にあって、とてもメジャーとは言えない、小さくささやかな島があるのを知ったのは、広島方面へ旅をしようという夏の終わり頃だった。広島県にはすきな街があって、その夏も再びその街へ行くことになった。それから、旅の日程が広島原爆投下の日に近いこともあって、昔一度訪れたことのある広島市の平和記念館にも立ち寄ろうと思い、広島方面へ向けての旅日程を組むことになった。それから、どうせならその近くで面白いところにがあれば寄りたいね、と本やネットで探して見つけたのが、大久野島だった。聞いたこともない、その島が引っ掛かったキーワードは『島』『広島』『瀬戸内海』『汽船』『廃虚』『温泉』『動物』。脈絡なく打った言葉達に、見事に引っ掛かったのだ。こんな滅茶苦茶な検索でヒットしたことにも驚いたけれど、その島に行こうと思えば実際に行くことができるということに興奮した。

 大久野島へ行くことを決めた私達は島のことをすこし調べた。今は、島全体が国民休暇村になっているそうで、温泉にも入ることができる。そして、なぜかウサギがたくさんいるらしい。野生のウサギがわらわらと写真に映っていて、楽しみになった。しかしそれと同時に、島のことを調べる中でとても悲しくて、複雑な事実も知ることになった。大久野島は定住者こそいないけれど、今では夏休みには海辺やキャンプ場もにぎわい、休暇村も人気で、泊まり掛けのレジャーの島にもなっているようだ。けれど、ここには封印されていた悲しくて無惨な跡が今も残っている。戦時中、毒ガス製造工場があった島なのだ。

 大久野島は終戦を迎えるまで、地図から消されていたそうだ。昭和4年、旧日本陸軍が毒ガス製造工場を島に設立し、その後16年もの間、致死性の高い毒ガスを作り続けていた。もちろん作っていたのは日本人で、製造過程にも大くの被害と悲劇があった。そして、作ったからには使ったのだろう。当時毒ガスを製造、使用していたことは秘匿されていて、昭和59年にやっと資料が公開された時には、はかり知れない犠牲と惨劇の跡が横たわっていたのだと思う。作っていた当時の工員たちはどんな気持ちだったんだろうと思った。自分の国が、毒ガスで人を続々と殺しているという事実。自分の体もどんどん侵されていく恐怖にも逆らえず、ただ耐えるしかなかったに違いない。、、そんなことを知って、気持ちが暗くなった。痛々しかった。そして、安易に廃虚を見たいという気持ちで検索したことを後ろめたく思った。けれど、そんな事実があったのならば、余計にきちんと自分の目で見て、考えてみたいとも思った。戦争は遠いものではなく、事実としてあった出来事で、痛みをすこしでも理解することできちんと、聞きかじっただけでない、自分が思う平和を考えてみたいと思った。テロのことも頭を過った。広島原爆の日も、近付いていた。



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