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竹富島
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10月の沖縄は、夏休み時期と違って混まないので、竹富にもそんなにひとはいなかった。おかげで宿もすぐにとれた。とおされた部屋は、畳が日焼けして砂が所々に落ちていて、決して綺麗とはいえなかったけれど、うれしかった。いい風が廊下をとおっていて、柔らかく日が入り、奥の部屋からはサンシンの音が聴こえてうっとりした。奏者の男のひとは、修行僧のように無口な旅人で、滞在中おしゃべりする機会はなかったのだけれど、遠巻きに拍手したら、とまどった様子のあとに少しだけ曲のようなものが聴こえてきて、ああ、私達に聴かせてくれているんだなあと分かった。言葉がなくてもコミュニケーションはとれるんだ、と思った。竹富島も、竹富にいるひとも、来るひとも「なんだかいいな。」と思った。竹富島と同じ、静かでほんわり優しいムードに染まってる。ここにいるうちに、自分もそうなったらいいな、と思った。そのせいなのか、その後の竹富島での時間は、不思議といつもの旅のように時間軸で動くのではなく、ただひたすら気が向いたら散歩して、自分がいる目の前の風景に釘付けになって、気付いたらお腹が空いてごはんが食べられるところに駆け込んだり、気付いたら日が暮れて宿にもどる、という日々だった。そしてそのうちに、どんどん他にも『なんだかいい』は増えていって、気付いたら「うー全部心地いい。」になってしまった。それはもう、続々と増えるばかりで、帰るのが信じられないように思えるほどだった。
なんだかいい、のひとつ。竹富にはたくさんのおいしいものを出すところがあるのだけれど、とにかくプラスαが必ずついてくるのが楽しい。竹富に来たひとのほとんどが行くであろう『竹の子』では、無心で食べ続けてしまう程おいしい八重山そば(ピィーヤシというコショウ科の植物を乾燥させたスパイスが良くあう。ソーキそばも焼そばもおいしい!)の他にも、外にあるぶらんこや、必ずサーブされる冷たいさんぴん茶にもすごくほっとさせられていたし、奥からおばちゃんを呼んできて、おばちゃんがおしゃべりし出してやっと営業になる民芸喫茶『マキ』のでっかいかき氷を、おばちゃんを喜ばせたくて、頭がキーンとなってもがんばってがしがし食べたりした。『たるりや』という家庭的なグリルガーデンでは、ボリューム満点のおいしい定食を、ぼとぼと落ちてきそうな星のしたで、食べた。ごはんと星、どっちを見ていいかわからなかった。昼と夜に続けて行ったら自作の太鼓を出して、たたき方を教えてくれた『ちろりん村』では、オーナーのおっちゃんが出してくれた手作りのピザと『サービス!』とふるまってくれたお刺身とかまぼこで満腹のうえ、さらに泡盛入りサワーで酔ってぐるぐるになって、人生ハツの千鳥足に自分で大笑いしたりした。宿主のおばあちゃんが、帰る最後の日にくれたバナナも、心がこもっているのを感じて、じっくり食べた気がする。どの場面でも、おいしかったこともきっちり覚えているのだけれど、ついてきたプラスアルファ−がどれも温かくて、濃くて食べ物以上の何かも、一緒にもらっていた気がする。味のほかに、うれしくなる何かを自然に与えることができるそれぞれのひとの豊かさにも、憧れた。食べる場面が楽しいのって、幸せだなーと、毎日思っていた気がする。そうやって「すごくいい。」がそこかしこに散らばっていて、掻き集めなくてもどんどん勝手に増えていった。
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