travel note 一覧 >>竹富島>> 01/ 02/ 03


竹富島
P03
 それから、1日がこんなにもゆったりとしていて、太陽や風の感じでだいたいの時刻をはかる、なんていうのはいつ振りだろうか、と思ったのも、くっきりと覚えている。本当の「あたりまえ」が身体にきちんと戻ってくる感じで、自分も1人の小さな動物であることや、自然に対する感謝みたいなきもちも思い出すようだった。それはやっぱり、島の人たちが守っている、ありのままの島の風景や精神が本当に美しくて、余計なものが無いからだ。民芸館で機織りのはなしを聴きながら編み上がっていく布を見つめていた時、照れている島のひとたちの写真を撮った時、道端でヤギや牛を見つけて鳴き声をまねしたりした時、夕暮れに合わせてオレンジの光がふっと灯る時にも、いろいろな気持ちが沸き上がっては、静かにつもっていった。竹富は静かで、そのせいなのか、何かじっくりと沸き上がる気持ちに向き合える気がする。ゆっくりゆっくり、何かが貯まっていくのが分かる。竹富では、考えなくても自然にいろんなことが体に染み込んでいく感じで、心も体も満たされると何もなくても、何もしなくても心地いいんだなあとひたすら目の前の風景だけに気をとられて過ごした気がする。
 
 そうやって、「すごくいい」ことに囲まれ続けた竹富での最終日。 前の日から、帰るのは頭でわかっていても、またくればいいんだから、と思ってもなかなか帰る気にならなくて途方にくれた。それでも、帰る日はやってきてしまった。せめて、と竹富で迎える最後の朝には、日の出を見てから島を出ることにした。しばらくは見納めになってしまうから、一番綺麗な竹富を目に焼け付けよう、と2人で決めて早起きして、宿からは少し遠い、一番お気に入りの浜まで、1本道をひたすらに歩いて行った。歩いていくうちに、視界の隅々まで明るく照らされはじめて、なんだかこの世のものとは思えない美しさだった。そして、海から直接顔を出してどんどん登っていく朝日を見届けた。なにか、神聖な気持ちになるのと一緒に、ここで過ごしてたまっていったものは、絶対に消えないという気がした。帰ってもずっと頑張れそうな気がして、その確信のために、その朝日を見たような気がする。思わず、写真を撮ることすら、忘れてぼうっとしてしまった。おかげで、この時の写真は全く残っていなくて、この時の美しさを伝えるすべはないのだけれど、今もアタマの片隅に残っているあの朝日は、これからもずうっと忘れないと思う。
そして、あんな朝日を見に、私はまた竹富島へ行こうと思う。


           

           

           

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