唄うこと、音楽と共に在ること 【前編】
2019年、令和元年の秋に音楽家・里花さんの3枚目のアルバム「Letter」がリリースされました。
新作「Letter」の発売を記念して、インタビュウをさせていただくことに。
普段、唄の旅とライブ以外でメディア等に出ることがない里花さんに、改めて「唄うこと、音楽と共に在ること」について聴いてみようという試みです。
何度かの夜と朝とを越えて、往復書簡のように続いた対話集。この対話もまた、里花というひとりの音楽家からの「Letter」であるのかもしれません。それでは、前編、はじまります。
というのも、小さい頃から楽器を習っていたとか身内に音楽家がいるとか、学生時代にバンドをやっていて、、というのでもなく、自然と導かれるように「唄うことになっていった」というありようは、実はすごく珍しいのではないかな、と思うのです。ソロで唄い、自分で歌を作り始めた経緯を教えてもらえますか?
里花:小さな頃から唄がとても好きでした。
よく一人で唄ったり踊ったりしていたようなのですが、と、同時にすごく人見知りだったので(これは今でも変わりませんが…)、誰かの前で唄うことなんて、”怖いこと”でしかなかったように記憶しています。お遊戯会とか親戚の集まりなんかでも、人前に出るとすぐに泣いてしまうような子だったので。。
だから唄はずっと自分の世界の中だけに存在していて、
自分の世界の中だけで唄い、聴こえるもの、のように感じていました。
学生時代も勉強やスポーツに熱中してたので、唄とは遠い日々を送っていましたが、それでもいつでも唄はわたしの中にそっと生きてくれていたように思います。
転機となったのはきっと20代の時、自分の体や心、
家族と向き合うような”宿題”をいっぱいもらうようになってからだと思います。
今まで必死に力みながら掴んでいたもの、頑なになっていたものがガラガラと壊れてゆき、その破片に埋もれながら、奥深くに眠っている土をもう一度掘り起こしては耕してゆく…みたいなことを、何度も何度も繰り返してきたように思います。
そして、30歳を過ぎた頃だったでしょうか?
ある時「あ、土が変わった!」とふと思う瞬間がありました。
それは今思うと、わたしの土が強く逞しく、美しく柔らかくなって、もう万全!というよりは、これから例え色んなことがあっても、この土へ還ってくれば、きっとどんなに時間がかかっても、明るい方へとまた向かってゆけそうな気がする…そんなふかふかした温かな土でした。
気づけば、自分のいのちにズシンと乗っかっていたもの、絡まっていたりしたものが消えて行き、心に飛び込んでくる風景や出会う人が変わっていったように思います。
わたしはゆっくりと、今度は、自分の歩幅で歩き始めていました。
里花さんが暮らす森の中で。 photo:shuhei tonami
里花:そして、山梨への移住。
これも大きな転機の一つだと思います。ずっと自然の中に身を置きたいと思っていたわたしは、八ヶ岳にあるワイナリーで働こうと、生活の拠点を八ヶ岳の南麓へ移しました。
その後すぐですね、父のギターを押入れで見つけたのは。
こういう時って不思議とあまり記憶が鮮明でないのですが、ギターを手にして、好きだった洋楽の曲をぎこちないながらも音の響きで伴奏を当てていったりして、ただそれが楽しくて夢中になっていたら、時の隙間に 唄を授かるようになって。。唄っていて何か魂が震えるような感覚があるのだけれど、でも、この伴奏だし、誰かの前で演奏するなんて夢のまた夢のように思えていました。
だから最初は、友人の前だけで、ごはん会の集まりの時などに、何かのお礼の代わりに唄わせていただいたりしていたんです。その反応がね、自分が戸惑ってしまうほどとても素敵なもので、みんなすごくキラキラして、美しい涙を流してくれたりして。
わたしは、自分の唄から生まれるこの、なんとも言えない温かな循環が、たまらなく嬉しかったのだと思います。
そうしてゆっくりゆっくりと、何かに誰かに運ばれるようにして、だんだんとご縁を繋いでいただいて、今に至る…
ざっくり言うとそんな、流れだったと思います。
その前にも、数えるほどですが友人の誘いなどでボーカルをさせていただいたり、ご縁あってユニットを組ませていただいたりもして、とても良い経験をさせていただいたのですが、弾き語りをはじめた時から、自分を通過してゆく音や言葉のエネルギーは、今までとは違う、わたしにとって何か特別なものを宿していると感じていました。
唄は授かりもの
里花:実は、つくろう!と思ってつくったものはほとんどなくって、音楽とは全く別のことをしている時、もっと言うと 自分が”空(くう)”になった時に、メロディーと歌詞がかたまりみたいになって”落ちてくる”とか”湧いてくる”ことが多いように思います。
そのかたまりを集めて…そうそう、こないだ洞爺湖を訪れた時に、湖畔で黒曜石を拾った朝の時間がとても良い思い出になっているのですが、その作業と似ているなぁとふと思いました。
そして、その原石たちを作品としてまとめてゆく作業は、とても時間がかかり苦しみを伴うこともあれば、時間の感覚がないほどあっという間に出来てしまうこともあります。
わたしはすべての唄を”授かりもの”と感じています。自分は媒体として、その唄のいのちを汚すことなく何かを乗っけることなく、できるだけ透明なまま届けてゆくことを無意識に大事にしているように思うのです。
でも、媒体といっても、ただの空っぽの通り道という訳ではなくて、もし”唄の神様”みたいな存在がいるとしたならば、その神様はわたしの人生を上からちゃんと見ていて、”うん、あなたはもうこの唄を唄ってもいいですよ。”
って、わたしの心の歩みと共に唄を授けてくれているようにも感じています。
だから唄たちは、自分のものではない感覚なのだけど、
自分の真実とまっすぐ繋がっている、自分の魂をちゃんと通過している感覚があります。
わたしが弾き語りを始めたのは30歳を過ぎてからなので、
歌手としてはきっと遅いスタートなのかもしれないけれど、
わたしにとっては、いちばん良いタイミングだったんだなぁって、今、実感しています。
photo:shuhei tonami
唄うことで、自分の外の世界と繋がれる
里花:まずとても感じるのは人というよりも、場の空気の変化です。
それはきっとそこに居る人々から放たれているものも影響していると思うのですが…
場がどう変化したのかというのを言葉で表現するのはとてもむずかしいのだけど、きっと太古の昔から音楽がそうであったように”浄化”とか”潤い”とか、エネルギーを高め清めてゆく何かが生まれてゆくのだと思います。
大多喜ハーブガーデンで行われた「光の輪をつなぐ夜」にて。photo:Mio Kakiuchi
そして、聴いてくださったみなさんがとてもキラキラした涙や笑顔でわたしの元に駆け寄って来てくださったりして…
そんな嬉しくて不思議な体験に何度も出会わせていただいて、やっと人というか、社会というか、自分の外の世界と繋がれる方法を見つけられたのかなという気持ちと、あと、誰かに喜んでもらうというのは、自分だけが嬉しいとか楽しいとかとは全く別の、内側から溢れてゆくような深くて大きな喜びがあります。
唄うことで、何か”確かなもの”という存在に出会えたように思います。
これも言葉では上手く説明できなくて申し訳ないのですが、”いのちの源”みたいなものなのかな。
たぶん、全部表しきれてなない気がします。ごめんなさい。
でもわたしは唄っている時いつも、この”確かなもの”に触れているのを感じています。
森と共に呼吸している
「Grain」は八ヶ岳の南麓に居を構えて、森の中で暮らし音楽に向き合うようになったからこそ生まれた音楽集、という印象がありますが、山梨の森とのご縁は里花さんの音楽にどんな作用をもたらしているのでしょう?
里花:森達からもらっているものは本当に大きいと思います。
毎日 窓を開けるたびに違う風景が映る。
時に震えるほど恐ろしく、時に息をのむほど美しく、
眠れないほど騒がしい時もあれば、すべての音が消えてしまう静寂の日もあります。
遠くから見ると圧倒的なのに、近づくと、一つ一つの小さないのちから成り立っていたり、そんな”生きている森”と共に過ごすことで、わたしは自然と光と陰、希望と絶望、生と死と、また訪れる生の巡りを学ばせていただいているように思います。
photo:里花
里花:よくお客様にも「唄から八ヶ岳の風景が見える」と言っていただいたりすることがあるのですが、もしかしたらきっと、わたしは森と共に呼吸をしているのかなとふと思ったりします。
森を意識して唄をつくったことはないけれど、どの唄にもたぶん、森の声が宿っている気がします。
あとはね、いろんなところに唄の旅に出かけて、たくさんの色や音を纏って帰ってくる自分を、いつも0に戻してくれる場所でもあります。
photo:里花
北海道だと昔からコロポックルみたいな木の精霊みたいな存在が木彫りのモチーフになっていたりして、フキノトウの下に住んでます、みたいなイメージですが笑、この森も植物や動物以外の見えない存在の気配もあって。時に畏れも感じるのだと思いますが、里花さんと相性の良い土地、森なんだなあと印象的でした。
里花:自然たち(目に見えない存在を含めて)ってやっぱり唄が好きみたいです。
家で唄っていてもね、「あ、今 聴いてくれているなぁ。」ってすごく感じるんですよ。
そんな時間が訪れる度に、何とも心がくすぐったい幸せな気持ちになります。
photo:里花
唄にもまた「いのち」が在り、育ってゆくもの
楽曲提供のお話を聞いた時は、意外に感じて驚きました。一方で、楽曲そのもの良さで選ばれたのだとも思いますし、小さな里花ファンとして誇らしい気持ちにもなりましたが、里花さんご自身は、自分の作品が一人歩きするように世にでる、聴かれることはどんな風に感じていますか?
里花:正直なところ、最初はとても戸惑いがありました。
特にMISIAさんが歌ってくださると決まった時は、まだ弾き語りを始めて間もない頃だったし、
『Grain』もリリースしたばかりのこと。
時間の速さや、物事が決まってゆくダイナミックさみたいなものがわたしの中に流れているものとは大きく違って、
そういった世界に触れたことがないわたしにとっては、あまりにすべてが初めてのことで、
何が起きているのか分からないまま、ただ知らぬ間にどんどんと曲が遠くへ行ってしまうような感覚でした。
でも、大きな会場で数万人の前で、MISIAさんが歌ってくださっている光景や、
歌い終わった後のシンと静まり返った…会場も人も、すべてが光に包まれていった奇跡のような静寂、
その後に沸き起こるお客さんの歓喜の声を、何度も目の当たりにした時、これは何か、とても素晴らしいことが起きているのではないかと感じるようになりました。
そして何より、わたしの心の色を変えていったのは、
MISIAさんが歌い始めてくださってからしばらくして、
たくさんの方からメッセージが届くようになったのです。
みなさん様々な人生を歩んでいらして、時に困難の中や暗闇の中にいる時に、
MISIAさんが歌う里花の曲たちに出会ってくださって、
「とても救われました。」とか
「生きる希望をもらいました。」とか
「こんなにも素敵な曲を つくってくれてありがとう。」とか本当にいっぱいいっぱい…嬉しいお言葉をいただきました。
1st alubumの「Grain」
里花:その時にふと思ったのです。
「あぁ 唄というのは やっぱりみんな”いのち”を持っていて、きっとわたしだけの世界だけではなく、わたしよりももっと大きな世界へと旅立って、この唄たちを待っている人々の元へゆこうとしているんだ。」って。
それからは、何かこう母親のような気持ちで、
石川さゆりさんもMISIAさんという素晴らしい歌い手のもとで唄たちが元気に活躍している姿を、
遠くから嬉しそうに見守る…みたいな、穏やかなあたたかな気持ちへと着地してゆきました。
そして、わたしの中の『流れ星』も『花』もささやかではありますが、ゆっくりすくすくと育っていると思います。
「Grain」は変わらず愛されているのを(販売を通して手渡しながら)私たちも感じています。
その後に「Breathe」を作っていった時は、どんなことを感じながら制作されてましたか?
里花:唄をつくる時もそうなのですが、アルバムをつくる時も、わたしの”思い”や”意図”みたいなものは実は全然なくって、本当にただ何かに導かれるように 突き動かされるようにつくっていっていると思います。
だから出来上がった時に、あぁ こういう世界が生まれたんだ。って後から知ってゆくことが多いように思います。
2nd alubumの「Breathe」
そういえば、Breatheのラフミックスが出来上がりつつある頃、Breatheのパッケージ制作を担当してくれた竹内紙器製作所の堀木淳一さんと誘い合わせてわざわざ札幌までdropに会いに来てくれましたね。
制作チームお一人お一人とも、距離を飛び越えて顔を合わせて意見を交わして、妥協せずに作りたい作品を作るという姿勢が素晴らしいな、と思いました。
線の細い見た目とは違う独特の「座長」ぽさがありました笑。
「この後にも作品が続くとしても、毎作これが最後だと思ってアルバムを作る」とおっしゃっていたことをよく覚えています。
里花さんは迷ったり、周りの人の意見に揺れることはあっても、直感でこれ!と思ったことに対して力を注ぐことに怯まないし、流れを読む力や引きの強さのようなものもお持ちだと思いますが、作品を重ねていく中で音楽との向き合い方、紡ぎ方は変わってきましたか?
里花:ありがとうございます。
その点については、びっくりするくらい変わっていないですね!
もうちょっと成長したらいいのにとか、妥協できたらいいのにと思ったりする事も多々あるのですが…
わたしの中に、とてもまっすぐでピュアで、それでいてどっしりとした…少女のようなおばあちゃんのような存在がいて、いつも自然とその声を聴いているように思います。
自分以上に信頼しているかもしれません。
それはその”存在”が、エゴとか念とかを超えた、何かもっと大きなものを見つめながら、わたしを導いてくれているように感じているからだと思います。
唄うこと、音楽と共に在ること【後編】へと続きます。