昨日まで青に染まっていたM&W。
今日は白です。
じゃんじゃん洗います。じゃんじゃん干します。
大根農家的に白いの干しまくりです。
上にも下にも白白白。
サンルームにも白い農民パンツ。
白白白。目に眩しい白。
白い箱の中の白、、、
北園克衛の詩のようですね。
見るひとが見ようによっては、の程度だろうとは思いますが、
こうやって数が並んでいると、
drop aroundのワークウェアの発想のベースが、フ
ァッションやモードからのものではなく、グラフィックやタイポグラフィから来ているのが、つたわるんじゃないかなあ、となんとなく思っています。
そもそも、drop aroundのワークウェアづくりは、
古着の解体からはじまっています。
古い作業着は、それ自体の存在が強く、月日を経た佇まいが柔らかく、美しい。
こういうものを着て触って過ごしたい、働きたいものだ、と古い布好きの私は思います。
でも、古いものだと自分しか、1人しか着れないじゃん。とも思います。
古いもののなかにある、
あたらしいかたちや、おもしろいかたち。
機能からくる、姿とありよう。
これを写し取りたい、と思う。
そしてただのコピーではなく、drop aroundならではの解釈を添えたい。
そして、ものに込めて伝えたい。
ひとりにではなく、隙間仲間の誰かへも。
昔はこうでも現代だとこうだよね。
ここにポッケあったらもっと便利。
ここが擦り切れてるということは、
1年着たらここに負荷がかかるのか、庇おうか。
結局長袖着てると腕まくりしてるのは私だけか?
いや、腕時計ひっかかるよね、、等。
ひとつの答えに10個くらいの注釈がつきます。
それをコツコツと翻訳して型紙に描き込み、製品へと反映させていきます。
・
なんか終わりがないよ、どうしたらいい。とも思うんですが、
この思考実験を重ね点と線を組み、余白をはかり、伝達の中心を探る作業が、
やはりいつものグラフィックデザインやアートディレクションの仕事とそっくりで、
布の製品をつくっていても、
はじまりは手で「線を描く」からはじまるのも、なんだか共通していて。
あたらしくお付き合いをはじめた職人さんたちのタイプや常識も、
自分とは前提がずいぶん違っていてびっくりすることも多いのですが、
「つくる」の共通言語さえあれば、
なんでも一緒なんだな、と思うことしばしば。
話が飛びましたが、dropさんのつくるものって、
紙も布もなんか一緒ですねーという、
ざっくりとした気配とトーンが、出ていたらいいなあと思ってます。
いつか、かたちの中に詩を込められるくらい、
上達したいものだなあと思いながら、
まだまだつくり、そしてじゃんじゃん洗います。