まだまだ辿りつかない。

2018.03.11

7年経ってもかたちある答えのようなものには、まだまだ辿りつかない。答えなんてのもあるかすらわからない。たくさん答えがあって、それぞれ全部正しいのだ、と自覚したくらい。計れない。でもずっと考えている。祈るだけではなく、生き残った自分たちがこれからをどう生きるか、自分はこの世界を何から見つけて、何を指針に生きるつもりか、を問い続けて来たように思う。

うちには2011年に生まれた子がいるから、娘が目の前にいるだけで、起きたことを忘れることはないだろうと思う。札幌と東京で家族が離れ離れだったあの日のこと、それから娘が生まれるまでの日々と、産まれてから今日までの日々。同じ日本という国で起きた被害と事故と分断。反発と政治。それらを目に長い時間思考停止していた自分の情けなさに嫌気がさした長い長い時間でもあった。あの日がなかったら、いま札幌にはきっと暮らしていなかったな。洞爺に越すことも夢にも思わなかったろうな。旅して訪れてときめいても、遠くて美しいみずうみのある観光地、としか思わなかったかもしれない。

「なんでもない毎日」は、なんでもなくなんか無い、ということをじわじわ知り続けた7年だったから、洞爺に心が向いたのかもしれない。「日々」と表される連続する時間が、ちゃんと続くことの奇跡と、その集積が持つ底力こそが、生きていく中で信じられるものだ、と思い知った7年でした。わたしにとっては。

ここではないどこか、何かできそうな自分を求めるのではなく、いまここを地味に地道に紡いでいくこと、毎日、を逞しく、そして無事に生きること。手をとりあうこと。自分の目の前、世界の片隅を慈しむこと。どんな場所に居ても、その力を磨くことが出来れば、人間が太刀打ちできないことが起きた時、智慧を働かせられるようになるんじゃないか。思考停止しなくなるんじゃないか。「なんでもない日々」で培った生活力こそが、この世を生きるサバイブの最強のエンジンになるんじゃないか。

、、そんなことを考えていたら、生きるために必要なもの、がどんどん変わって来て、居場所も変わりつつある。..世界を変えたいならば自分が変われよ、そのほうが早いんだぜと言ったのは、かのガンジーさまだったか。世界を変えるなんておこがましいこと、さっさと諦めて、家族と周りと仕事ぜんぶを巻き込んで、なんでもない日々が、もっとなんでもなくなるように、生き抜くことが先決だ、と思いました。誰かを助けられるようになるのはその先だ、答えらしきものを見つけるのもそれからだ、と思って、今日と明日をなんでもなく生きる。とにかく生きる。7年経った今日、窓の外を眺めて、光を浴びながら祈りながら思ったのはそんなこと。