2011年震災年生まれの我が子がもうすぐ10歳になる。
びっくりするほど早く時間が流れた。
あれから世界は、私は、私たちは、
どう変わっただろう。
どう変わらなかったろう。
人ひとり入った大きなお腹で、私が東京を発ったのが3月10日。
3月だというのに雪が止まないなか乗った飛行機内では、
雪の悪天のため視界不良とのアナウンスが入った。
「新千歳に着陸出来なければ仙台空港に降りるかもしれません。
もしくは羽田に戻ることもあり得ます。」と告げられた。
シートに丸く埋まるだけの妊婦は、今ここで目的地以外に放り出されても、
どうしたらいいかさっぱりわからない。
北海道になんとか帰れますように。と祈る他なかった。
私を乗せた飛行機は、なんとか新千歳空港に辿り着き、妊婦ということでフライトアテンダントさんたちにも沢山気遣っていただき無事実家に帰り着くことが出来た。
まだ雪は降り続けた。
私が乗っていた便以降は、全て欠航になったそうだ。
その翌日地震が起きて、さらに原発事故が起きた。
あの日、仙台空港で降ろされていたら。
羽田に引き返して、引越し荷物だらけの目黒の家にとぼとぼ戻っていたら。
娘は、わたしは生きていただろうか。
10年後の今日、トーヤのみずうみを見れただろうか。
朝から娘とつまらないけんかが出来ただろうか。
あの日命を落としていたのは、誰かでなく私や彼女だったかもしれない。
ほんのすこし何かが違っていただけで生き死にが決まり、被災の大きさも全く違うことに言葉を失った。
運が良かった、だとか
お腹にいた娘が、ご先祖が、死んだ愛猫が守ってくれてたのかも、だとか後からならなんとでも言えるし、
生きているからそんな事言えるだけだ。
助かった命をそんな風に語るのはあまりに雑すぎる。
今日いちにちを生き延びるのは、かんたんなことではない。
毎日は同じことの繰り返しではない。
私もあなたも今日生きられたからといって、明日も生きていられるかはわからない。
今や見えないウィルスまでそばに居る。
無事に生き延びた今日、を重ねて明日がくるのを真剣に喜ぼうと思う。
たまにその喜びを忘れてしまうけれど、3月11日と3月10日のことを思い出して、
生きている今を祝おうと思う。
なんとか繋がった命をあたりまえなんて思わずに
生きてるから起こってしまう面倒や事件にもめげずに生きのびていきたいと願う。
これからの10年はもっと色々起きるかもしれない。
生きているのだから、まだ終わらない。つづくのだ。
なにもかも未知だけれど、出来なかったことを数えあげるのではなく、
出来るようになったことをあたためて深めて手渡して行けるとように、と思う。
牛の歩みでも、深呼吸しながら変わり続けたい。変わりながら生きたい。
そのためにも、今日をちゃんと生き延びて、あかるい朝を、あたらしい明日を迎えたい。
今を生きるみなさんにあかるい朝が、あたらしい明日が、
どうかどうかやってきますように。