慌てても雪が降りはじめると
結構どうにもならない北国の冬の入口。
札幌M&Wをクローズしてから、drop aroundが人知れず開拓しているトーヤの #青い山 。
青い山にも当然雪がやってくるのをヒシヒシ感じて、
先週末の連休は外に出していた木材を慌てて仕分けたり、
いらない材は燃やしたり(自作ロケットストーブで🔥)、
せっかく火があるなら粉を捏ねてナンを焼くぞーとか、
そのへんの草(よもぎ)を煮出して天然染料をつくるぞーとか、
実家で発掘した古いオイルランプに火を灯してみようとか、
なんやかんやと手と体を動かしているうちにあっという間に時間が過ぎてゆきました。
やっていることといえば僅かな片付けと火遊びでしかないのだけれど、
でも熾した火はやっぱりあったかいし、ナンも美味しかったし、
父さん誕生日も手づくりタルトで祝えたし、染めはミョウバン待ちだけど、
そのへんに生えているものの色を写せるのは楽しいし、
私たちのしてること、間違ってないんじゃないかという気がしてきた。
いえ、気のせいかもしれませんが。
何がしたくてわざわざ辺鄙なところに越すのって、
みんなに尋ねられ続けて来た答えがこの時間のなかに隠れてるんじゃないだろうか、と思ったり。
開拓スキルがそもそもだいぶ低いポンコツなのに
開拓が果てしな過ぎて、呆然としちゃうんですけども。
あー馬鹿なんだね、私たちと思っちゃうんですけども。
解体現場で2階から見事に落っこち、全身の怪我をしてから、思うようにものがつくれなくなったこと。
仕事や成果物を生み出せないのに日々を凌ぐための買い物という名の消費活動ばかりになってしまっていたこと。
この2つが、実はものすごーーく自分にとってストレスになっていて、かつ後ろめたさ満点だった、というのに気づきました。
つくりはたらいてない時の、だめぶりが浮き彫りになるからでしょうかね。
青い山で、家族さんにんだけで枯れ木を燃やしまくったり、
ぼんやり月を見たりすることがこんなに精神を安定させてくれるとは。
逆に自分自身はつくったり、わくわくすることを考えてないと
精神がじりじり蝕まれていくのだな、、、ということがようくわかりましたので、
多少無理をしてでもリハビリがてら、何かしらを生み出して生産を消費よりも優位に上げていかねば!
とヒシヒシと感じました。
傷はまだ痛んでるし、痺れも残るから長時間の制作が出来ず日々落ち込んでますが、
かといって休んでいても心が腐りますね。
でも怪我や病気をして凹むところまで凹むと本当に優しいひと、がようく見えます、みんなありがとう。
というのがdropカタワレのリハビリの近況です。
頑張りすぎず、頑張ります。
冬の間に力をうんと、蓄えよう。